ちょっと生きづらさを抱えた人へ、気持ちを楽にするためのお手紙です。

毒親の最期、会う?会わない?

一応、タイトルは毒親になっていますが、わたしの両親は毒親というほどではないけれど、エキセントリックな人たちで、わたしという生きづらい人生を送る人間が形成されるに十分な影響を与えました。

親と絶縁状態のみなさんは、親の最期に会うか、会わないか、悩むところだと思います。

わたしは会いませんでした。

育ててもらったことには感謝しているし、きっかけがあると恨む気持ちが湧くことはあるけれど、憎いという感情は持っていません。
怖い、が率直な気持ちです。

父が末期のガンだと連絡が来たとき、会うかどうか迷いました。
初めから会わないと即決したわけではありません。

また傷つけられるのではないか。
死んだ後までわたしを支配できるように、それこそ快心の一撃を食らわせるのではないか。
もしかしたら、すまなかったと謝ってくれるのではないか。
誰も受け入れない、誰にも受け入れられない人間になることをわたしに望み、得意なもの、好きなもの、友達をみんな取り上げて来た父が、自分は家族に看取られて死ぬなんて、フェアじゃない。
もちろん、自分の人生の責任はわたしであるんだから、それを理由にするのは間違っている。
会わなかったら後悔するんじゃないか。
会ったら後悔するんじゃないか。

とにかく、色んなことを考えました。

結局、あるきっかけがあり、会わないことに決めました。
傷つけられることになるだろうと予想できたからです。
父は死んでしまうのだから、また傷つけられた場合、仕返しをすることも、いつか和解することもできないわけです。
ただ、自分が傷つきたくなかったから、会うのはやめました。

たぶん、これで良かったんだと思います。
父が亡くなり1年が経ちましたが、後悔していません。



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2 COMMENTS

Candy

私も毒親の最後に会いに行かず、葬式にも出ませんでした。だいぶん前からヒーリングワークをしていて、親が死にそうだ、という頃には大分気持ちも落ち着いていて、何十年会っていない親はどうしているかなあ、という気持ちになっていて、もし、向こうが、普通に、会いに来て欲しいと頼んで来たら会いに行こうかと考えていましたが、死期が近くなって尚、こちらの神経を逆なでする非常識極まりないやり方で迷惑をかけられたので、それも諦めました。

今思うと、それはとても賢明な選択だったと思います。私が生まれてからずっと非常識な扱いをしてきた親が、死ぬ間際に常識的な事をする訳はないですものね。もし、あの時会いに行っていたら、傷つけられるか、子供が自分自身を傷つけるように仕向ける親の昔ながらのやり方に乗せられ、仕返しをしようとして警察沙汰になって、私は刑務所か精神病院でその後の人生を送る羽目になっていたかもしれません。親に死ぬ間際に迷惑をかけられたのも、親には会いに行くなと私の守護霊が守ってくれたのではないか、と思う位です。
 
一般の普通の人には、「そんなの、ひどいよ、信じられない。」と言われるでしょうが、私にとっては、人殺しにもならず、警察沙汰にもならず、あの条件下では最高の終わり方、win-winのやり方でした。

こんな話、普通の人には理解できない、不快にさせるという事は分かっているので、言わないよう心掛けてはいますが、先日、友人とレストランで食事をしていて、美味しいお酒と食事でつい気が緩んで、「親が死んで解放された気分で本当に嬉しい」と口走ってしまい、気持ち悪がられてしまったようで、それから連絡が来なくなってしまいました。

でも、心にある事は、誰かに話したくなりますものね。今はこんな風にネットでお話が出来て、とても嬉しいです。

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みすく

Candyさん

コメントありがとうございます。

お辛いおもいをされましたね。
わたしの父は毒親というほどでもなかったのに、解放されほっとしました。
だからお気持ちわかります。

どこかに吐き出すところは必要だから、ネットでお話できるのは良いですよね。
良かったら、またお話ししにいらしてください。
お待ちしてます。

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