ちょっと生きづらさを抱えた人へ、気持ちを楽にするためのお手紙です。

宗教にすがるということ

お恥ずかしい話ですが、若いころ、ある宗教団体に所属していました。
お恥ずかしい、と書き始めたとおり、今振り返ると、
やはりバカだったと言わざるをえません。
信仰を持つこと自体を馬鹿だとは思わないけれど、
「宗教団体に所属すること」は、わたしには合っていなかったと思います。

信者には、向上心のある努力家が多い

意外と、人の2倍、3倍努力している人たちがいっぱいいます。
そしてそのような血のにじむ努力をしなければならない人間というのは、
ほとんどの場合、大きな悩みや問題を抱え、
常におもりをつけて全力疾走しているような人たちです。
より良い自分を求めて、頑張っているのに努力がなかなか実らなくて、
宗教に行きついてしまうのです。
そのような人たちが周りにいる環境に身を置いていると、
皆に比べて自分の悩みなど些細だ、なんて甘えていたんだ、
もっと頑張らなくてはと思ってしまうんですよね。
そうやって自分を追い詰めてしまっていました。

努力の結果のバロメータはお布施の額である

努力の結果を客観的に図るバロメータ、それはお布施の額です。
まあ、当然ですよね。
たくさんお布施を納められるほど稼げるようなポジションにいるってことだから。
だから、自分も自分の価値を、お金で測ってしまうんです。
でも、急に何かに目覚めてどーんと稼げるようになんて、ならない。
そうやって、自分はダメな人間だとさらに自分を追い詰めていました。

結果を出せない信者は邪魔

悩みを抱えて宗教にすがるわけですが、
宗教ですから、具体的に問題を解決してくれるわけではありません。
お金を払えば自分の話を聞いてくれる、しがらみのない人ができるので、
せいぜい気分転換になるだけです。
それでも、努力し続けて結果を出す人もいるし、
恋人ができてハッピーな人も出てきます。
それは本人の努力や運であって、宗教のおかげじゃないわけだけど。
逆に、努力ではどうにもならない状況の人などは、なかなか結果を出せず、
団体側から見て”いつまで経ってもパッとしないお荷物”になっていきます。
他の信者の手前、何年も幸せになれない人がいるのは困るでしょ。
シビアな世界です。

でも、あの時優しくしてくれた人たちには感謝してます

今思うと、本当にわたしには合わなかったなあ……と思うのだけれど、
あの時、わたしに優しくしてくれた人たちには、感謝しています。
だからこそできたこともあるし、必要な経験だったと思います。
そもそも、自分を追い詰めていたのは自分自身であって、
彼らのせいじゃないからね。

まとめ

宗教にすがっておかしな言動を取る人は、
一概に洗脳されているとは言えないんですよ。
宗教に行きついた時点で、だいぶ病んでる。
脱洗脳してあげようと頑張らなくて良いけど、
もしその人のことを心配する立場にあるなら、見捨てないで
あげてほしいと思います。

4 COMMENTS

nazna(

宗教をもつことはなにも恥ずかしいことでははないと思います。
むしろ、世界的に見たら無宗教の人の方がが少ないような気もするし・・・。
宗教を持つことで、自分が救われる部分があれば、それはいいことじゃないかな。

宗派に関係なく神社仏閣にお参りする自分は、たぶん無宗教だと思います。

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みすく

nazna( さん

わたしの場合、かえって自分を追い詰める結果になったし、
あの時使っちゃったお金、貯金しておくべきだったな~と思うんですよね。

返信する
nazna(

そういうことを経験して、自分にとって宗教とは何かを知るためにお金を使ったと思えば、それはそれでいいんじゃない?
銀行で両替してもお金がかかる時代だから、ましてや何かを得るためにお金がかかるのは、宗教でも例外じゃないと思います。

それに、みすくさんが言うように、それを経て今のみすくさんがいるんだからねw

少なくとも自分は、今のみすくさんの、ものの捉え方とか考え方好きですよっ

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みすく

ありがと~♪
わたしもnazna(さん好きだよ。
自分とは違う視点を持ってて、それをすごくわかりやすく表現してくれる。

確かに、あのときの経験がわたしの性格に大きく影響を与えているし、
あのときすがるものがなければ、今もっとひどい状況にあったかもしれなもんね。

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