今日の枕
電車で立っていて、自分の目の前に座っていた人が電車を降りようと立ち上がった時、
横に立っていた人がわたしを押しのけ体を滑り込ませ、座席に座った後、
なぜか必ずこちらを見上げる行動に、「ごはん粒現象」と名付けました。
(ごはん粒がついてるから見てるのかもしれない)
みすくです。こんにちは。
もう警察には頼らない
過去の経験から、自分のことであれば、
もう警察に頼ることはないだろうと思っていました。
でも本来であれば警察案件のできごとが起きた時の、
①善意の人のご親切をどう収めるか
②嫌な気持ちをどう消化するか
これも考えておくべきでした。
結論が出ていないので、これを読んでアドバイスがあれば、
ぜひ教えていただきたいです。
①善意の人のご親切をどう収めるか
せっかく勇気を出して犯人を捕まえてくれた善意の人に、
「警察行っても無意味ですよ、
ババアのくせにあんたがぼんやりしてるからだと、こっちがお説教されるのがオチ」
とは言いづらいです。
善意のかたのお気持ちは本当にありがたいし、立派だと思うし、
善意を無駄にしてしまうことは申し訳なく思う。
でも、警察でさらに嫌な気分を味わいたくもないのです。
善意の人のご親切心を踏みにじらず事態を収束させる方法が知りたいです。
②嫌な気持ちをどう消化するか
手間を増やされた警察官に嫌な顔をされながら出す無意味な被害届でも、
出せばなんとなく気持ちの区切りは付くんだよね。
それ以上できることはないわけだから。
ただただ自分が我慢することで収束させる場合、
嫌な気持ちの持って行き場がないです。
これは善意の人にとっても同じだと思うんです。
善意で行動を起こしたのに、本人が泣き寝入りで良いと言うのでは、
それを受け入れるしかないのだから、区切りがつかず、
モヤっとした気持ちを抱えてしまうのではないかなあ、と。
本当に申し訳ないです。
なんで被害者側が悩まなければいかんのじゃ!
ごちゃごちゃ悩んでるわけだけれど、
加害者って得だよねー、人権も守られてるし(白目)
警察批判ではありません
念のために申しあげておきますが、警察批判ではありません。
世の中には優先順位があります。当然です。
自分がろくに状況もわかってないのに、意見するのも気が引けますが、一般論として、
おまわりさんが頼りにならなかったり、嫌な顔をされても、一般市民としてできることは警察に頼ることだけのような気がします。
それよりも、被害届を出しておけば、起こったことが記録に残る訳ですし、警察の対応云々よりも、書類として残すことは意味があると思いますが、どうなんでしょう?
nazna(さん
答えが長くなりそうだから、続きとしてもうひとつ記事にしたいと思います。