流行りのアドラーで、人は対等だから褒めてはいけないとあるのだけど、
わたしは褒められたい。認められたい。
そもそも、人間は本当に対等か?
わたしは会社で自分が認められていないこと、
誰にも褒められないことに、悩んでいると言うか、思うところがある。
(認めてもらうだけの実力がないと言われればそれまでだが)
実際には、現場(お客様)には認められているという客観的事実はあるのだけど、
それって、契約も続くし、複数のお客様から指名されるから、
評価されてるんだろうなあという結果を導き出しただけだ。
単なるエンジニア不足だから、お手頃な人選をしているだけかもしれない。
言葉に出して、(欲を言えば賃金に反映してほしいけど)
わたしはあなたのことちゃんと見てるよ、ちゃんと評価してるよ、
っていうの、相手に伝えるのは大事なんじゃないかなあ。
わたしがTwitterでフォローしている殿下さん(仮名w)が、
英語の勉強を頑張っているのだけど、大人になって勉強するって素敵よね。
わたしは仕事に必要な勉強をしてはいるけど、焦燥感に支配され、
身についているんだかついていないんだか、Javaやったりwshやったり、まさに迷子。
殿下のように、勉強の苦しさと楽しさを感じながらも続ける姿は
とても立派だと思うんだから、あなたは立派だよ、
って伝えたくなる。
自分が褒められたいから、他の人も褒められたいとは限らないんだけれど、
自分は認められないこと、褒められないことで、孤立感を感じているから、
同じ気持ちを誰かに感じさせたくない。
でも、そもそもそんなこと誰も望んでないんだろうか。
最近、答えを見つけられないことを考えがちだな。
これは良くない傾向だけど、文章には残しておきたいと思う。
今日のひとこと
人間は、ピンチになると火事場の馬鹿力を出すタイプと、
(楽に死ねるように)寝てしまうタイプがいるんだよ。
前者は交感神経が、後者は副交感神経が発達してる。
こんな状況でよく眠れるもんだ、じゃなくて、こんな状況だから寝てしまうのだ。
わーい。褒められた。どうもありがとう!
とにかく嫌になるほど牛歩だけど頑張ります。
殿下のそういうところが好きだ。